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安楽死や尊厳死では、死期が迫っているというのが条件のひとつとされるが、そういう診断自体患者の精神状態に対する圧力となる。
鴎外はこのような庄力を他人に強制されるということを嫌ったのだ。
もっとはっきりいえば、「自分の生命は自分で考える。
それこそが自分の尊厳を守ることにつながる」と考えていたからであろう。
鴎外は七月に入ってまもなく遺書を残し、やがて昏睡状態におちいり静かに逝った。
その表情には苦悶は浮かんでいなかった。
その遺書によって、墓石には官位や栄達の証などを刻むのを拒んだ。
「森林太郎トシテ死セントス墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可ラス」というのであった。
このことに関しては他人が口を挟むことを一切許さないという強い調子であった。
鴎外に代表されるような日本人は、決して日本にも少なくない。
特別の宗教ももたず、自らの属する集団のヒエラルヒーにもこだわらず、自らの価値観を守りつづけるのだ。
むろん近代日本の社会では、そのような生き方があからさまになれば「変わり者」扱いされる。
だが、鴎外を見てもわかるとおり、「変わり者」という姿勢は表面上にはあらわさない。
鴎外は陸軍内部のヒエラルヒーに従って上昇しているし、その枠の中で特別に軋轢を起こすことなく、一正の地位を占めつづける。
だがその内面は別だ。
自らの倫理と道徳とに従って、「死」を最底辺に据え、自分はいかに死ぬべきか、を自らの意思で固め、その意思に治って忠実に生きようとしたのである。
私は、鴎外が著した『高瀬舟』は、鴎外が自分の人生が晩年に入っての入り口にあたる期に著した心理小説だと思う。
鴎外が死去するのは大正十一年だが、この作品は大正五年に発表している。
鴎外は当時、陸軍軍医学校の校長の職にある。
そのときに書いたというのは象徴的でさえある。
残された自らの人生の道筋の中に、明確に「いかに死ぬべきか」の問いが起こっていたのだ。
ファッションになる危険性現代は、安楽死にしても尊厳死にしても鴎外にみられたような厳しい問いかけなしに、ただ「末期の苦しみ」を逃れるためと、「老醜をさらすのが恥」という考えで論じられている節がある。
これまで書いてきたように、個人の生き方を根底においての選択肢として論じられているとは思えない。
そのような厳しい問いかけをもとにしているとは考えられないのである。
たとえば、安楽死や尊厳死論争は、未だに受動的な両がある。
「あれは厭だ」という感情面から論じられていることが多い。
医学情報が広く社会に公開され、医療知識も知られるようになって、末期悪者の苦悩が明らかになった。
「私はそのような状態は拒否する」というだけの安楽死や尊厳死であったなら、それは単なるエゴイズムでしかない。
むろんそのエゴイズムは一概に否定されるべきだとはいわない。
だがこういうエゴイズムには幾つもの課題がひそんでいる。
たとえば、「私がそうだから他人もそう思うはずである」とか、「人間の尊厳は死の間際の床にはない」といった軽率な見解が容易に引きだされる。
もしこのような見解が社会的に力をもってくるなら、安楽死や尊厳死を認めない論者は、人間の尊厳を認めない危険分子扱いされることにもなりかねない。
そのような危険性こそ、この時代の社会的背景が生みだした歪んだ見解になると思われるのだ。
昭和天皇の闘病、ライシャワー元駐日大使の死、などが報道しられたときに、日本尊厳死協会の会員が激増したというのは、私の推論があたっている証だと思う。
もっと深く自己を見つめ、その生き方の結果として安楽死や尊厳死が語られるのでなければ単なるファッションでしかない。
そして、安楽死や尊厳死を望む人の声の中には、明らかに個人の次元と異なって日本の伝統に根づいている和を尊ぶという傾向さえ窺えるのだ。
自分が痛いで倒れることは、家族に迷惑をかける、肉親や友人の精神的負担を増す。
それに耐えられないという意識である。
他者との関係が前面に出ての論だ。
尊厳死を肯定する論には、「自分以外の第三者に過分な負担をさせる権利はない」とか、「家族に闘病による負担を与えたくない」という見解もある。
一見すると、この心情は誰にも理解できる。
だがそれが果たして尊厳死を容認する根拠となるだろうか。
これは家族の和を尊ぶということの裏返しの論でしかない。
「がん告知」をめぐって「がんの告知」について、日本でのアンケートでは、欧米の国々とは違った結果がでている。
もしがんだとわかったら、告知してほしい、という回答も近年になって七割から八割に達している。
だが、家族には知らせないでほしい、という回答は成人男子に限っての調査では比率が高くなる。
自分だけに告知しではしいというのは、家族愛から発している。
家族に心配をかけたくない、自分の死んだあと家族はどのように暮らすだろうか、それを自分の小で考えつづける。
むろん結論がでるわけはない。
だが家族に心配をかけたくないという思いやりは満たせるのだ。
がんの告知は、本人には知らせないで家族に告知するというのが現在では一般的である。
その家族も本人には伝えない。
本人だけが知らないで逝くというのが日本ではまだ多い。
なぜ本人に知らせないか。
むろん思いやりである。
本人が「死」の時期を知るというのは、幸いであろうし苦しむであろうという思いやりなのだ。
悪者本人と家族の間では、死という語を交わしたくないというのが日本人の礼儀になっている。
現椎のこの浄土をできるだけ共有していたいと思うからこそ、別れの語を避ける。
それがルールになっている。
尊厳死がこのような環境で容認されるとなれば、末期患者の意向か家族の思惑か、どちらかの比重が高くなるにすぎない。
お互いに死に関する会話が少ない以上、それは避けられない。
ライシャワー元駐日大使は、日ごろから個人の生き方は、人格を伴った生き方である、と家族に話していたという。
そういう日ごろからの交流があったからこそ、ライシャワーの家族は本人が選んだ尊厳死を尊重したのである。
日本の家族のように死に関する会話を避けている結果として、その土壇場になって「なんとかしてほしい」「楽にしてやってほしい」といった家族の言葉が重視される状態になる。
しかもその意味には暖昧さがつきまとう。
私は、末期医療に立ち会った家族の証言や記録などを幾つか集めている。
そこで気づくのは、患者が家族に「こんな苦しみはもう厭だ。
なんとかしてほしい。
楽にしてほしい」といったときから、急に安楽死や尊厳死が思い浮かぶというケースが多い。
そして、急におろおろして、医師に「本人の希望をかなえてほしい」といいだすのだ。
医師たちも、末期患者の家族からいきなり「柏原を中止してほしい」といわれても、とまどうのが当然なことだ。
それを医師が受けいれないといって、「医療への不信」をもつに至ったという手記も多い。
しかし、これほど得手勝手な論理もない。
こういう申し出をする家族がいるから-現在はまだ多数派ということになるのだろうが尊厳死論争も歪んでしまうし、きわめて利己的な諭が政底することにもなる。
個人の意思を尊重するには、とりもなおさず日ごろから「死」について家族間で話し合うのが望ましい。
それが、「どう生きるか」と表裏の関係にあるからだ。
日本の医療制度は現在のところ世界でも例をみないほど整っている。
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